仙台地方裁判所 昭和62年(行ウ)3号 判決 1989年9月25日
原告
豊嶋とよ子
右訴訟代理人弁護士
川原悟
同
川原眞也
同
新里宏二
被告
仙台労働基準監督署長梅森清保
右指定代理人
清田勝男
右同
大島真彰
右同
畑山国夫
右同
簗田道義
右同
滝口亨
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五九年一一月五日付で原告の亡夫豊嶋勝雄に対してなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 豊嶋勝雄(以下「勝雄」という。)は、仙台市宮城野区東仙台三丁目一三番四四号所在の森勇建設株式会社に勤務していた者であるが、昭和五九年四月一日午前一一時ころ、同社の施工にかかる仙台市太白区太子堂所在の鈴木庄三宅新築工事(以下「本件工事」という。)現場において、柱立て作業に従事中、右新築中の家屋の梁の一つ(以下「本件梁」という。)から落下した(以下、この落下事故を「本件事故」という。)。
(二) 勝雄は直ちに中島病院に運ばれたが、同日仙台市立病院に移され、同日から同年六月四日まで同病院に入院した。仙台市立病院の診断によれば、勝雄の疾病は「右側頭部擦過傷、重症くも膜下出血、水頭症、前交通脳動脈瘤」であり、同人はその治療のため、同病院において三回手術を受けたほか、その後も遠田郡南郷町立病院や涌谷岡本病院に入院して治療を続けたが、昭和六〇年五月一四日右南郷町立病院において死亡した。
2(一) 勝雄は、昭和五九年五月三〇日、被告に対し、前交通脳動脈瘤、くも膜下出血を傷病名として休業補償給付を請求したが、被告はそれが業務上の事由によるものとは認められないとして、同年一一月五日右休業補償給付を支給しない旨の処分(以下「原処分」という。)をした。
(二) 勝雄はこれを不服とし、宮城労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、昭和六〇年三月二〇日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。
(三) このため、勝雄は、同年五月一三日、労働保険審査会に再審査請求をしたところ、翌一四日、前記のとおり勝雄が死亡したため、その妻である原告がこれを受継したが、同審査会は、右再審査請求を棄却する旨裁決し、右裁決書は、昭和六二年三月三〇日、原告に送達された。
3 しかし、以下において述べるとおり、勝雄の右疾病は業務上のものであるから、これを否定した原処分は、判断を誤った違法な処分である。
(一) 主位的主張
本件くも膜下出血は、次のとおり、業務上の負傷に起因する疾病である。
(1) 勝雄には、前記仙台市立病院における診断のとおり、右側頭部擦過傷が生じていたが、それが落下途中での柱などとの衝突または落下完了時の地面などとの衝突のいずれによるものであったかはともかくとして、落下によって生じたことは疑いをいれないところ、高所作業でなければ落下は有り得なかったのであるから、右負傷は業務上のものであり、右負傷が勝雄の血圧を急上昇させ、本件くも膜下出血を引き起こしたものである。
(2) 仮に本件くも膜下出血が梁の上で発症したものとしても、右側頭部擦過傷の存在によって認められる前記落下による衝撃がなければ、くも膜下出血は重症に移行せず、従って、これによる勝雄の死亡は阻止できたものである。換言すれば、落下による負傷は、勝雄のくも膜下出血の症状を増悪させたものである。
(二) 予備的主張
仮に前項の主張が認められないとしても、次に述べるとおり、本件くも膜下出血は業務に起因することの明らかな疾病である。
(1) 本件くも膜下出血は、前記負傷によらずに、落下そのものによって、落下途中または落下完了時に発症したものと認める余地がある。けだし、動脈瘤破裂の要因たる血圧の急激な上昇は、落下という精神的または肉体的緊張(強度の驚愕、恐怖)時に発症しうるものであり、高所作業でなければ落下は有り得なかったのであるから、本件疾病は業務に起因すること明らかな疾病である。
(2) 仮に、勝雄が梁の上でくも膜下出血を発症したものであるとしても、同人は昭和五九年三月二七日ころから身体の不調を訴えており、これは脳動脈硬化による血圧上昇によるものと認められ、くも膜下出血の予兆たる症状であったのに、連日「今日は仕事を休みたい。」等の言葉を口にしながらも出勤し、特に本件事故の当日は、日曜日であり、本来会社の休日でありながら、本件工事の建前が予定されていたため、高所作業要員として勝雄は出勤しないわけにはいかなかったのであり、梁の上での作業は当時の勝雄にとって強度の身体的肉体的緊張を余儀なくされる業務であったと認められるのであるから、勝雄に前交通動脈瘤など体質的素因が存在したものとしても、この作業が相対的に有力な原因となって本件くも膜下出血を生じたものと言うことができ、従って、本件疾病は業務に起因することの明らかな疾病である。
4 よって、原告は被告に対し、原処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1及び2は認める。
2(一) 同3(一)の(1)及び(2)は否認若しくは争う。
(二)(1) 同3(二)の(1)は否認若しくは争う。
(2) 同3(二)の(2)のうち、勝雄が昭和五九年三月二七日ころから身体の不調を訴えていたこと、本件事故の当日が日曜日であり、本来会社の休日であったが、本件工事の建前が予定されていたため、勝雄は高所作業要員として出勤したことは認めるが、その余は否認若しくは争う。
3 勝雄のくも膜下出血は、次に述べるとおり、業務上の負傷に起因する疾病ではなく、業務に起因することの明らかな疾病でもないから、原処分は適法である。
(一) (請求原因3の(一)の(1)及び同(二)の(1)について)
勝雄は、本件梁の上でくも膜下出血を発症したために意識障害を起こしてこれから転落したものであり、梁からの転落により右疾病を発症したものではない。
(二) (請求原因3の(一)の(2)について)
勝雄が梁の上で発症したくも膜下出血は大発作に該当する重篤なものであったうえ、梁からの転落による頭部への衝撃はなく、仮にあったとしても軽微なものであったから、この衝撃を原因としてくも膜下出血が重症に移行したということは有り得ない。
(三) (請求原因3の(二)の(2)について)
勝雄に本件事故の数日前から身体的不調があったとしても、これが脳動脈硬化による血圧の上昇によるものであり、脳動脈瘤破裂の予兆であったと認めることはできないこと、勝雄はもともと高所作業が好きで、高所作業の経験を積んだ者であったし、当日の気温等も特に厳しいものではなく、従事していた作業もいわば通常の作業に属するものであり、業務が特に過激なものであったとは言えないこと、勝雄に認められた前交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、日常生活中でも起こりうる疾病であり、肉体的、精神的緊張とほとんど無関係に発症するものであることなどから、勝雄の発症と業務との間に因果関係は認められず、本件くも膜下出血は、業務に起因することの明らかな疾病には当たらない。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。
二 業務起因性について
1 原告は、請求原因3の(一)の(1)及び同(二)の(1)のとおり、本件くも膜下出血が、本件梁からの落下による受傷もしくは落下そのものによる精神的または肉体的緊張により発症したものである旨主張し、被告はこれを争うので、この点について判断する。
(一) (証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 本件事故当日は、本件工事の建前の初日に当たり、神事を終えた後、午前九時ころから、勝雄を含む八名前後の作業員らが建て方を開始した。午前一一時ころ、勝雄は、ヘルメットをかぶり、組み立てた一階の梁の一つ(本件梁)に上がってこれに跨がり、この梁を支える柱のホゾを土台に固定するために、この梁を掛矢で叩く作業を開始した。
(2) 本件梁は、建築中の建物の一階の六畳和室と縁側の間の直上に位置する地上からの高さ約三・三メートルの梁であり、勝雄は玄関の西側の通し柱の西隣の柱の直上において前記作業をしていた。勝雄のほぼ直下では、会社の専務取締役である只野芳男(身長一・七七メートル)が床板の張っていない地上に立って前記柱を支えていた。
(3) この作業を始めてまもなく、勝雄は突然梁を叩くのを止め、手にしていた掛矢を只野の足下に落としたので、只野が仰ぎ見て「おい、どうしたんだ。」と声を掛けると、勝雄は何も反応を示さずに右斜め前のほうに頭をつんのめるように下げてゆっくり身体を傾け、右肩から滑り落ちるように下に落ちてきた。
(4) その瞬間、只野は勝雄を受け止めようとして両手を広げ、勝雄の胸と腰のあたりに手を掛けて支えたが、勝雄(当時の体重は約五五キログラム)の重みに耐え兼ねて、勝雄の下敷きになるような恰好で尻餅をつくようにして後ろに倒れた。
(5) 周りにいた人が勝雄を只野の上から抱き起こして近くにあった用材の上に寝かせ、バンドを緩めたり、衣服の胸のところを開けたり、木村がヘルメットを脱がせたりしたが、勝雄は呼び掛けても反応がなく、鼾のようなゴーという大きな呼吸音を立て、泡かよだれのようなものを少し口から流していた。
(6) 勝雄は直ちに救急車で中島病院に運ばれ、中島康之医師の診察を受けたが、同医師の診察によれば、来院時の勝雄はほぼ昏睡状態であり、頭部にははっきりした外傷はなかった。同医師は、勝雄が意識を失った原因について専門医に究明させるため、同日仙台市立病院脳神経外科を紹介した。
(7) 転送を受けた仙台市立病院の小沼医師らは、勝雄の意識状態を「昏睡」と診断し、右側頭部に擦過傷を認めた。また、頭部レントゲン撮影、CTスキャンによる撮影、脳血管撮影などを行なった結果、勝雄は、前交通脳動脈瘤破裂による重症くも膜下出血、水頭症と認められたため、脳室ドレナージ(脳内の圧力を下げる措置)を行ない、同月二日、脳動脈瘤根治術を行なった。
(二) 右一連の事実及び他に勝雄が梁から転落する原因が証拠上全く認められないことからすれば、勝雄は梁の上で前交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症したため、意識障害を起こし、梁から落下したものと認めるのが相当である。
(三) 従って、本件くも膜下出血が、梁の上から落下したことにより発症したものであることないしは梁の上で発症したものではないことを前提とする請求原因3の(一)の(1)及び同(二)の(1)の主張は採用することができない。
2 ところで、前記のとおり、本件事故当日の仙台市立病院における診断では勝雄には右側頭部擦過傷が存在したとされており、原告らは、請求原因3の(一)の(2)のとおり、仮に勝雄のくも膜下出血が梁の上で発症したものとしても、右擦過傷を受けた際の衝撃がくも膜下出血を更に増悪させたものである旨主張し、被告はこれを争うので、この点について判断する。
(一) 前記認定のとおり、仙台市立病院における診断では、勝雄の右側頭部には擦過傷が認められたが、本件事故以外にその原因として考えられるものはないから、それがどの段階で何と接触して生じたものか明らかでないものの、本件事故の際に生じたものと推認される。
しかし、本件事故現場に居合せた只野や木村精は落下の際勝雄が頭を打ったとは思わない旨述べていること(<証拠略>)、前記認定のとおり、落下の際、勝雄はヘルメットを被っており、落下後木村がこれを勝雄の頭から外したということ、前記認定事実によれば、只野が落下する勝雄を受け止めようとして、支え切れず転倒したものの、相当程度落下による衝撃を和らげたものと考えられること、落下後最初に診察した医師中島康之は意見書(<証拠略>)に、「頭部にはっきりした外傷はありませんでした。」と記載していること、医師小沼は、仙台市立病院での診察および手術を行なった際の所見によれば、勝雄の脳には外部からの衝撃によると認めるべき病変は存在せず、ただ、昔受けたけがと見られる古い脳挫傷の痕跡が認められたが、これは本件くも膜下出血とは無関係であると思われる旨証言していること、以上の認定事実及び証拠を総合すれば、この擦過傷は重いものではなく、その受傷の際脳に受けた衝撃は、ほとんど無視しうる程度のものであったと考えられる。
(二) 従って、梁の上で既に発症していたくも膜下出血が右受傷の際の衝撃により増悪したものとする、請求原因3の(一)の(2)の主張は採用することができない。
なお、(証拠略)添付の涌谷岡本病院の医師岡本禄太郎作成の国民年金・福祉年金診断書によれば、勝雄の病名として、外傷性てんかん及び頭部外傷後遺症である旨の記載があり、これによれば勝雄の疾病は外傷を原因とするものであるかのようであるが、同医師は、勝雄を診断したのは事故から半年以上経過した昭和五九年一〇月一七日であること、診断は精神科医としてのものであること、外傷性てんかんとの診断については先天性のてんかん以外のものを総称するものとしてその病名を用いたものであること、頭部外傷後遺症についても、勝雄の精神症状から診断したものであり、外傷が原因であると認めたからではないこと、以上の趣旨を証言しており、従って、右診断書の記載は、勝雄の疾病が外傷によるものであることの証拠とはなりえない。
3 次に、原告は、請求原因3の(二)の(2)のとおり、仮に本件くも膜下出血が梁の上で起きたものであるとしても、勝雄は事故の数日前から体調が悪かったのであるから、事故当時の勝雄にとって、梁の上での作業は強度の精神的肉体的緊張を余儀なくされる業務であったということができ、本件くも膜下出血は、業務に起因することの明らかないわゆる職業性疾病である旨の主張をし、被告はこれを争うので、この点について判断する。
(一) 前記認定のとおり、本件くも膜下出血は前交通脳動脈瘤の破裂によるものであるが、(証拠略)、証人小沼武英の証言によれば、脳動脈瘤が形成されるメカニズムについては今日あまり明らかではなく、その大部分を占める嚢状動脈瘤については、先天的な要因によるものか、後天的要因によるものか、あるいはその両者によるものか争いがあるものの、おおむね、動脈壁の脆弱な部分に生じた小さな瘤が、血流の圧力により長年月を経て膨大することにより形成され、破裂するものと考えられていること、そして、このような動脈瘤の存在はこれが破裂する以前に発見されることは珍しく、くも膜下出血を生じて初めて明らかとなる場合が多いことが認められる。
(二) 勝雄の脳動脈瘤もその部位からして嚢状動脈瘤である疑いが強く(前交通動脈瘤は嚢状動脈瘤の最も生じやすい部位とされている。)、前記医師小沼の証言も、これが嚢状動脈瘤であることを前提としているものと認められるが、それがいずれの脳動脈瘤であるにせよ、その形成が業務に起因するものと認めるべき証拠は存在しないから、本件において検討されるべきは、脳動脈瘤の破裂と業務との相当因果関係の存否であると思料される。
(三) ところで、どのような場合に脳動脈瘤が破裂しやすいかについては、前掲各証拠によれば、定説はないものの、一般に、一過的な血圧の上昇が原因ではないかと考えられており、これを裏付ける統計資料も存すること、このような一過的な血圧の上昇は日常生活において容易に生ずるものであり、実際、排便後起立したとき、前屈姿勢をとったとき、入浴中などに多く発症するほか、睡眠中や食事中など安静時にも発症する例が少なくなく、必ずしも肉体的、精神的に過激な行為等が脳動脈瘤破裂の引き金になるとは限らないことが認められる。そうであるなら、いつでも破裂しうる段階に至った脳動脈瘤が、たまたま業務中に破裂するという事態も可能性としては低いものではないと言わなければならない。
(四) そこで、このような疾病について、業務起因性が肯定される場合があるのか、あるとしたらそれはどのような場合であるのかを本件に即して検討するに、
(1) 発症の際現に行なっていた業務が、業務の内外を問わず、日常経験することが極めて少ないような血圧の上昇をきたすものであることが経験則上理解しうる程度に強度の肉体的または精神的負担のあるものである場合
(2) 労働者が、通常であれば医師の診察を受けるべきであると判断される程度の身体の不調があるにもかかわらず、他の者ではその業務を代替できないためなど業務上の理由で、休養をとり医師の診察を受けることが事実上期待できない状況で業務を継続した後に当該疾病を生じた場合であって、右身体の不調と当該疾病との間に合理的関連性が認められる場合
など、通常人の合理的な判断として、当該業務が相対的に有力な原因となって当該疾病を生じさせたと認めるのが相当である場合には、当該疾病の業務起因性を肯定すべきものと思料する。
(五) そこで、勝雄の発症に至るまでの経緯について検討するに、(証拠略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 勝雄は従前、農業のかたわら、土木、建築作業員として働き、二年ほど前から森勇建設株式会社に勤務するようになった。会社では、通常の土木作業等のほか、鳶職のような仕事を比較的多く担当し、自身、高所作業を得意としてこれが好きであった。現場によって異なるが、朝は六時から六時半ころ迎えに来る会社のマイクロバスで出勤し、帰りは午後六時半から七時ころに同じマイクロバスで自宅に送り届けられる生活であった。会社では毎月第一、第三日曜日が休日とされていたが、勝雄ら作業員の給与は毎月の勤務日数に応じて支払われていたから、それ以外の日であっても欠勤することに特に制約はなく、一方、業務の都合により、第一、第三日曜日であっても出勤が要請されることがあった。事故以前三か月の勝雄の勤務状況は、昭和五九年一月が二四・五日、二月が二五日、三月が二七日となっており、他の作業員と比べて欠勤が少なく、一般の労働者との比較においても労働日数が多かったということができるが、仕事の性格上残業をすることは少なく、前記三か月の残業時間数は、一月が一時間、二月が二時間、三月は無しという状況であった。
(2) 勝雄はもともと頑健であり、医者にかかることもほとんどなく、朝は四時ころから起き出して掃除をしたり、晩には好きな晩酌をした後近所に出掛けることがしばしばあるなど、精力的であったが、本件事故の五日前である昭和五九年三月二七日ころから身体の不調を訴え、酒は要らないとか食欲がないと言うことが多く、晩は早く寝てしまい、朝も遅くまで寝ているようになり、仕事に行くのも億劫がるようになった。しかし、事故当日まで欠勤することはなかった。事故の二日前ころには、通勤のマイクロバスの中で同僚に「風邪移された。」などと体調が悪いことを訴えたことがあった。事故当日は、本来会社の休日であったが、本件工事の建前が予定されていたため、勝雄も高所作業要員として出勤したものの、同人の顔色が悪く元気がないと周囲の者が心配し、「大丈夫か。」と声を掛けるほどであった(勝雄が昭和五九年三月二七日ころから身体の不調を訴えていたこと、本件事故の当日が日曜日であり、本来会社の休日であったが、本件工事の建前が予定されていたため、勝雄は高所作業要員として出勤したことは、当事者間に争いがない。)。
(六) 右認定事実及び1(一)において認定した事実を前提として、前記(四)の(1)に即して事故当時勝雄が行なっていた作業が異例の血圧上昇をきたすほどに肉体的、精神的に過激なものであったかについて検討するに、勝雄は高所作業に慣れていたこと、掛矢で梁を叩く作業は建築作業員として日常的な作業であることなどから、当該作業がそれほど過激なものであったとは認めることができない。
(七) 次に前記(四)の(2)に即して検討するに、右認定事実によれば、勝雄の身体の不調は脳動脈瘤破裂の前駆症状であったか(脳動脈瘤は、軽度の破裂発作の後、頭痛など身体の不調を訴え、風邪と思って放置していて後に大発作を起こすという経過を辿ることが珍しくないこととされており、勝雄の場合も三月二七日ころ、既に軽度の発作を起こしていた疑いがある。)あるいは、脳動脈瘤破裂の誘因たる症状であったものか(しかし、脳動脈瘤破裂は普通はまえぶれなく起こると言われている。)明らかではないが、脳動脈瘤破裂との関連性は否定できないものと思われ、あらかじめ医師の診察を受けておれば、くも膜下出血の大発作の事態は避けられた可能性が高い。しかしながら、前記のとおり、勝雄ら作業員は欠勤が事実上も制約されていたとは認められず、勝雄の担当していた業務は、高所における作業ではあるが、他の作業員が代替することは可能であったと考えられ、実際、三月の二三日と二四日には、勝雄は欠勤しているのであって、(<証拠略>)、勝雄が休養して医師の診察を受けようとすれば、それは十分に可能であったと認められる。
なお、原告本人尋問の結果によれば、勝雄が身体の不調を押して出勤し続けた理由として、給料の前借りを返済しなければという気持があったことも認められるが、それは業務外の事情であって、しかも、金額は一〇万円で、無利息の貸借であった(<証拠略>)というのであるから、勝雄にとってそれがそれほど大きな心理的負担となっていたものとは認められず、右認定を左右するものではない。
(八) したがって、勝雄のくも膜下出血は、業務に起因することの明らかな疾病と言うことはできない。
三 結論
以上の次第で、勝雄のくも膜下出血の業務起因性を否定した原処分は適法であって、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井康倶 裁判官 吉野孝義 裁判官 針塚遵)